+++++借金のいきさつ+++++ | ||
我が家はもともとは裕福なほうでした。 父は自営で事務所を構えそこそこ儲かっていたし、その収入で十分暮らしていけました。 母は会社員で給料を全額貯金していました。 それでも余裕があったので、父は趣味のクラシックを聴くため高いスピーカーや機材を買いそろえ、母はスーツやアクセサリーなどたくさん買っていました。 私は何不自由なく暮らし、欲しいものを手に入れていました。つまり我慢するということも知りませんでした。 そんな私や家族が借金まみれに転げ落ちていく道のりを以下に記します。 | |
1990年 | 都心から郊外に引っ越す。 これを機にじわじわと父の仕事が減る。 |
1995年 | 賃貸の家賃を払い続けるのがつらくなり、母親が思い切ってマンションを購入(しかもゆとりローン)。私は初めてアルバイトをする。 |
1996年 |
父の仕事は相変わらず減収。 このころからクレジットカードなどの借金をしては返済するようになったらしい。 私は大学受験だったが受験料が払えず、浪人。1校も受けずにアルバイトを始め、来年に備える。そのつもりで貯めたお金が家のローン返済に充てられる。 結局受験費用は教育ローンその他で借りることに。 |
1997年 |
大学入学。そのころには父の年収は多いときの10分の1。 母の会社も経営難で減給、ボーナスカットで生活が苦しくなる。 ついに両親が消費者金融に手を出し始める。 |
1998年 |
カードキャッシング、消費者金融、親戚にお金を借りまくる。 私も二十歳をすぎたので学生専用のクレジットカード、デパートなどのカードを作らされ、キャッシングの名義貸しに加担する。 アルバイトも掛け持ちし、疲れて朝起きれず、学校に行けない日が続いた。 |
1999年 |
父の年収入は100万円を切ってしまった。 親に泣いて頼まれ、しょうがなく学生ローンで30万円借金する。 初めてお金がないことで涙が出てきた。 その数ヶ月後、これ以上大学に行っても迷惑がかかるので思い切って大学を中退する。さらば。 |
2000年 |
続けていたアルバイトを本格的にフルで入るようになる。 その後かけもちで水商売のアルバイトも始める。 冗談抜きで始発と終電に乗る毎日が続いた。 母の方も勤めている会社が倒産寸前になり転職。 しかしこのご時世や年齢もあって正社員雇用は無理だった。 |
2001年 |
すっかり働く意欲も覇気もなくなった父。 家にずっと引き込むようになるが、体調を壊し、入退院をしばらく繰り返す。 私はアルバイトの傍ら就職活動し、某社に正社員として入社する。 日々の生活は、私と母の給料で毎月の借金を返し、生活費をその他のローンや返済した所から再度借りてまかなう始末。そんな中、母がついに債務整理する。そのときまでに消費者金融をはじめ、数々の借金が700万まで膨らんでいた。 |
2002年 |
母の借金が元本のみになったが、結局生活が楽になった訳ではない。 父の入院代、日々の生活費etc... 親戚からの返済催促も激しく、険悪な雰囲気になっている。 そして父の収入が完璧に0円になる(つまり事務所閉鎖)。 すでに高齢なので普通であればとっくに年金生活だが、これまで年金をかけていなかった為1円もおりない。 うちの家計も把握できず無収入、引きこもり、やたら病院代・食事代・タバコ代(へビスモ)などかかる父をうとましく感じるようになる。 妻と娘が必死で働いているのにノホホンとグータラ生活してるってどうなのよ!? |
2003年 |
しかし父が自分の無力さや責任を自分で一番嘆いているのを知り、考えを改める。 そして突然!!勤めていた会社がいきなり私たち正社員を契約社員雇用に変更した。 当然時給制、ボーナスなし。そして先月総合職・営業以外はみんな契約期間満了で解雇!あまりにひどすぎる・・・。 急遽アルバイトを始め、今も継続中。 母の借金は止まったが、怪しいDMが届くようになる。そして私の借金は増える一方。二人とも不安定な収入なので、毎月の返済が2人の合計収入を超えることもしばしば。そこを私が借金などで埋めるという自転車操業を繰り返している。 |